のだたくブログ

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【1分で読める】音楽ロック史part.6

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前回は様々な音楽の分岐、またMVの発展に伴い商業音楽が大きく発展した様子について紹介していきました。

今回はそんな商業音楽に対する反抗としてオルタナティブロックが台頭し、ニルヴァーナが一世を風靡する様について解説します。
グランジファッションの元となるこの時代について見ていきましょう!

 

ニルヴァーナの登場(∼1990年代)

大学生がきくラジオ番組にて、インディーズに焦点を当てた変わったバンドを流しだします。これは当然メインストリームではなく、様々なジャンルを混ぜた音楽が聴かれだしていきます。これがオルタナティブロックの誕生です。例えば前回登場したインダストリアルを源流として音楽を作ったアーティスト、ナインインチネイルスなどが登場します。

 

商業音楽がメインストリームであり、インディーズ音楽もささやかにきかれるようになった時代。この下地ができた世界に、カートコバーン率いるニルヴァーナが天変地異を引き起こします。彼らの登場により、当時流行していたメタルがダサいという価値観へ移行していきます。

彼らが人気を博したのは、当時の暗い世の中において、アメリカの若者の心情に刺さる歌詞を提供し共感されたからです。

 

オルタナティブはきらびやかなロックに対するアンチテーゼとして生み出されます。商業音楽に対して、音楽とはお金儲けのための手段ではない、と。売れてる奴はダサい、大衆に媚びている、と。そのようなアンチテーゼを示していくわけです。

その代表格であるニルヴァーナは大衆に認められ自分自身がメインストリームになってしまいます。すると、かつて批判していた対象に自分がなってしまったことに対してジレンマを抱えることとなります。

売れてはいけないはずのオルタナティブロックが売れてしまい批判していたメインストリームの音楽そのものになってしまったったわけです。

その結果、1994年にニルヴァーナのリーダー、カートコバーンが自殺してしまいます。

 

ちなみに、そのころイギリスではアメリカに媚びない明るい音楽が流行ります。ハッピーマンデイズなどのアーティストが代表的です。

 

まとめ

いかがでしたでしょうか!

今回は商業化したメタルに対するアンチテーゼとして、オルタナティブロックが台頭したこと。しかしこの音楽は認められれば認められるだけ、自分自身が非難の対象になってしまうというジレンマを抱えていたわけです。

故にグランジファッションの始祖でもあるニルヴァーナのリーダー、カートコバーンはそのジレンマに悩み、ドラッグや酒におぼれ、結果的に亡くなってしまったわけです。

 

自分の軸を貫こうとする信念、その信念と必死に向き合い、死んでしまったカートコバーンの生き様。非常にかっこいいですよね。

 

長く続いたこのロック史ですが、今回で終わりにしたいと思います。僕の音楽の師匠、みのミュージックさんが動画でこのロック史についてより詳しく解説していますので、興味ある方、もっと知りたい方は是非見てみてください!

 

最後まで読んでいただきありがとうございました!